はじめまして!
たけと申します!
まずは簡単な自己紹介をさせてください。
介護の仕事をしながら、
介護福祉士を目指している
27歳のたけです。
大学を1回留年してしまい
同期とはは1年出遅れての介護施設に
就職をしました。
今でも同じ施設に働いているので
もう少しで3年目です。
今は大好きな彼女と半同棲で生活し、
デートしたり、温泉旅行したり、
アニメ見たりと楽しい時間を過ごしています。
今がかなり「幸せ」
すぎます。
最初に言っておきますが、、、
僕はそこらへんにいるTHE普通です。
なにも取り柄がなく、目立つことがなく
クラスには2,3人いるよう人間です。
今回はこんな僕が
自慢できる肌×かゆみのない生活を
手にするまでのストーリーを紹介します。
「食べたいものが食べれない生活」
「アトピーに振り回されたくない」
こんな方を救うために書いた記事です。
たった5分で読み終える内容です。
”常識を壊し、努力の方向性を知りたい”
という方は、、、、
僕にあなたの5分をください。
きっとこの記事を読み終える頃には
常識が変わり、アトピーの概念が
180度変わっていることでしょう…
今は体調崩すことないが幼少期は病弱でした、、、
噓のような話ですよね。
実は僕も覚えていませんが、
母に聞くと僕はかなりの病弱でした。
1か月に1回は風邪で休んで病院に行く
レベルだったみたいです。
その時から肌も弱く、
ずっとどこかしらのかゆみがあるところ
をかいていました。
その度に母から
「かいたら痛くなるよ、知らないよ」
これは耳にたこができるほど
聞かされていたけど、
かいて血が出て母に泣きついてました、、、
その時からかゆみ止めの薬は塗っていたが、
そこまでひどくはないが、
効果はありませんでした。
中学になったら、見た目をいじられる。
問題は中学生になってからです。
中学生になると思春期に入り、
見た目を気にしだす年頃になっての
「フケ」です。
最悪でしたね。
フケって不潔な人のイメージがあるので、
最初に友達から言われて気が付いたのですが、
めちゃくちゃ恥ずかしかったですね。
それからも会う度に「フケ」でいじられ、
こそこそ後ろで言われていました。
あの時の「怒り」と「恥ずかしさ」は
忘れられません、、、
1人だけ心配してくれた友達もいましたが、
思春期で嬉しかったけど恥ずかしい気持ちで
相談することができませんでした。
かゆみ、ボロボロの肌、ふけで不潔感で自己肯定感0
高校までに来ると、
アトピーのかゆみがあって当たり前で
もう生活の一部になってましたね。
この時期が今まで生きてきて1番かゆみがひどく、
「ひざ裏」「脇」「首」
かいてました。
野球部に所属していましたが、
野球のユニフォームは蒸れやすく、
かゆみの温床でした。
上はアンダーシャツ、ユニフォーム
下は長ズボン、長靴下、ストッキング
かゆみが生まれないわけがない環境でした。
練習すれば、汗と熱気で蒸れて
練習後は蒸れた「ひざ裏」「脇」「首」が
かゆくなりかいてしまう。
結果、
血が出て、皮膚がズタボロになり
かゆみと痛みで発狂。
家に帰りシャワーを浴びれば、
かいたところが染みてさらに発狂する。
次の日は
その部分がジュクジュクと瘡蓋になり、
運動して皮膚が引きのばされればまた発狂する。
この発狂する日々が毎日でした。
僕のメンタルは、
アトピーに踊らされていました。
もちろんその間、
病院に通って、薬をもらい
毎日欠かさずに塗り込んでました。
それでも改善する兆しが見えませんでした。
それどころか悪化する日々、、、
薬以外にも、
ムヒやベビーパウダーや濡れタオルなど
試しました。
それでもかゆみに勝てず、
かいてしまいました。
そのせいで
今でも少しだけアトピーの痕跡が
残っています。
いつしか薬も通院もアトピー改善に
関係するものすべてを
やらなくなってしまいました。
かゆみをなくすことに心がポキッと
折れてしまいました。
かゆみのための改善策が失敗する
全ての行動が否定されている感じで
ストレスになっていました。
そこからはかゆみに身を任せ
かいてかいてかきまくりました。
この生活になってから、
肌はボロボロになるが、
ストレスはかなりなくなりました。
1人の人と出会い人生が一変、、、
大学生になり、
アトピーが高校の時より落ち着き、
かゆみはあるが楽になりました。
20歳の時に
ある人と出会いで転機が訪れる、、、
それは栄養マスターO師匠です。
師匠は、
モデルもしながらトレーナーをしている
こともあり、食事に気を使っています。
その師匠との一言で
新しい一歩を踏み出しました。
それは、
「お前の足、汚ねぇな。
くその食事食べてるから」
20歳になって、面と向かって言われたことが
なかったのでかなり落ち込みました。
でも、変えるきっかけになりました。
これから好きな人やお客様、いろんな人と
出会っていく中で初対面でこう思われたくない
って気持ちが初めて生まれました。
せっかくなら
清潔感溢れる好印象でありたい。
そのため、
改善やり方を知る師匠に頭を下げて
教えてもらうことになりました。
今この瞬間が1番『若い』
今までアトピーを改善するために
病院に通い、薬をもらい
毎日塗っていました。
僕はこのやり方ではアトピーを改善する
ことができませんでした。
それはフォーカスするところを
間違えていたんです。
外側ではなく、
食事で内側から改善していくことが
最短最速だったんです。
結局、
僕たちは
食べたもの飲んだもので
体ができているからです
悪いものを食べれば、
太りしアトピーなどの病気になりやすい。
よいものを食べれば、
かゆみがなく、若々しい肌になれる。
食事次第で
どんな人生でもなれるってことです。
食事を改善する前に教わることができました。
それだけで
今までの僕の食事がいかにゴミであったか
アトピーが改善されなかったか
パッと暗闇が晴れたように
理解することができました。
食事療法の最初は捨てること
まずは食事の今の習慣を捨てることでした。
これが1番の難関って言っても過言ではないです。
どういう事かというと、、、
僕の食事が1日3食すべてが
吉野家、コンビニ、ほっともっと
の弁当でした。
こういう好きなものだけが入っている
弁当が大好きでした。
その生活を何年も続けていました。
こんなの食生活で病気や体臭、
肌が健康に近い状態で保てていたー
って不思議に思います。
コンビニ弁当で抜ける食べ物
あともう一つは「生野菜」でした。
コンビニ弁当生活をすると
野菜が不足しがちになる。
だからこその生野菜です。
生野菜については、
おいおい説明しますので
お楽しみにーーー
最初は辛かったです、、、、
最初の1週間は
味の濃い弁当が食べてくなる
禁断症状が出てきました。
まずはそれを辛抱して、
やり続けました。
1週間が経ち、2週間が経ち、
日に日にこの食事にも慣れてきました。
1か月が経つ頃には、
こっちの食生活が今までやってきた
食生活みたいな感じになっていました。
ふとコンビニ弁当を食べると、、、、
味が濃すぎて箸が進まず、
食べた後の睡魔が襲われて、
そのあとの講義が大変でした。
なんとアトピー改善するはずが
味覚が薄味に変化していました。
ラッキーでしたね!!!
そこから1か月たつ頃には、
かゆみもボロボロの肌もなくなっていました。
だんだん僕自身がアトピーだった
ことも忘れるほど、かゆみがないこと楽しい
時間を過ごしていました。
その後も食生活は続けて、
ある時、知り合いのきれいな女性に
いわれました。
「肌きれいになったね
肌のトーンが上がったね」
この一言を聞いて、
涙がでそうになりました。
今まで苦しみ、悩みが
吹き飛んだ瞬間でした。
今まで褒められたことがない人生
でした。
やはり褒められるってうれしいですね。
次はあなたの番です。
アトピーの症状が軽い重いは
人それぞれあると思います。
それでも共通して言えることは、
「改善したい」だと
僕は思っています。
だからここまで読んでくれたんだと思います。
僕はここまでたどり着くのに
20年もかかってしまいました。
20年は長く、悩み続けるには
メンタルが持ちません。
みなさんには、
こんなに悩んでほしくないです。
最短最速でアトピーを改善してほしくて、
僕の過去をお話ししました。
今や人生100年時代とはいえ
楽しい時間なんて短いです。
その短い時間をアトピーに使う
のは、勿体ないです。
1度きりの人生を楽しみましょう。
そのために僕はここまで来ました。
あなたはどうですか????
この記事が、あなたの行動力の
第一歩目になってくれれば
いいなと思ています。
だいぶ長くなってしまいましたね。
最後まで読んでいただき
ありがとうございました。
たけ
ps.
アトピー悩み歴20年の介護士。
かゆみ、ボロボロの肌、自己肯定感0
から食事療法を学び、
2~3ヵ月でアトピー改善から
自慢の肌と自己肯定感を勝ち取れ、
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